みなさまから恵那地区委員会へお寄せいただいた募金は日本共産党沖縄県委員会を通じて、玉城デニー知事誕生への大きな力として届けさせていただきました。ありがとうございました。「民報なかつがわ」No386からの転載記事で現地沖縄へ支援に行かれた方の手記もお読みください。(以下)
安倍内閣がやりたい放題をして、最後は、憲法改悪までこぎつけたいともう1期やる事となった。そんな中、翁長さんの急逝に伴い沖縄県知事選挙が9月30日に行われる事となった。
この選挙で必ず勝利しなくては、安倍内閣が日本の民主主義を踏みにじり、憲法を変えてしまうと思うと、居ても立ってもいられない気持ちでいた時、知人から「沖縄へ応援に行くよ」と誘われて直ぐに返事をした。26日に出発しその日の午後と27日は宜野湾市長選の応援に入り、沢山のビラを朝から晩まで地元のおばさん達と折り続けた。事務所には若い人達も多く出入りして明るく活気があった。市内の電柱には「学会は辺野古新基地反対」「普天間基地があるとおさきまっくら」とのポスターが貼ってあり、沖縄の選挙の面白さを感じた。
応援行動を始める
28日は那覇市に移動しデニー事務所に着くと、事務局次長さんが「今日は電話作戦です。デニーの政策を話して行く事と、台風が接近しているので、期日前投票をお願いするのみです」と厳しい表情で話してくれた。宜野湾市の雰囲気とは違うので胸がドキドキしてきた。
電話は、地元の人に任せて私達は、チラシを持って近くのスーパー前で手配りをした。昼近くなので買い物客も多く、ほとんどの人が「頑張ってね」「もう投票してきたよ」と言いながら気持ち良く受け取ってくれた。年配のおばさんが「菅官房長官が3回も沖縄にきた、沖縄には基地なんかいらん」と怒った様に話してくれた。全体に反応は良かったが、作業服を着ている若い人は無視して通り過ぎて行った。そうした人達は職場から期日前投票に動員された人だろうと勝手に思った。
報道では、相手陣営が期日前投票を企業くるみ・団体ぐるみで行い、過去最高の35.5%(40万7千人)だった事、実際に指示された候補者名を書いた投票用紙を、スマホで撮らせて確認していると聞いた。
個人の思想信条を無視して、憲法を守れない人達に負けては居られないと改めて思う。
全国の人達と
デニー事務所で、佐賀・栃木・埼玉・東京から来ている人達と一緒に昼食をとる。皆必死である。
台風の影響で雨が降ってきたが、デパートの前でチラシ配りをする「デニーさんをお願いします」と渡すと、「入れて来たよ」「わかってる」とここでも反応が良かった。タクシーの運転手が降りてきて「どっちのビラを配っているの」と聞いてきたのでチラシを渡すと「デニーさんは大丈夫、基地は必要ないから」と話してくれた。「安心したらいかんで・・・」と頭をさげる。
風が強くなってきたので、モノレールの駅周辺へ移動。高校生が3人降りてきたので「デニーさんお願いします」とチラシを渡すと「僕達デニってる」と笑う。1人が「僕まだ選挙権ないです」と残念であったが高校生の反応がとても新鮮でうれしかった。
モノレールに乗って街頭演説会場に行く。公園とデパートのある場所は以前基地があった所だからこんなに広々とした空間ができたと司会の方が話していた。
全員が選挙カーから降りて聴衆の前で演説をされる。これはデニーさんが県民と同じ目線で話して行きたいとの思いからだそうだ(何か悪い人が襲ってきたら・・と思うと怖い気もする)
蟻と象の戦い
デニーさんは「蟻と象の戦いであるが僕には翁長さんから受け継いだハートがあります」普天間基地は沖縄の人達の土地を米軍が強制的に取り上げた土地である、代替えではなく沖縄の人に返してもらうその事が原点である。辺野古新基地は沖縄の民意が反対と示しているのにこれを守れないのは民主主義国家ではない」と熱く語り聴衆と握手を交わしていた。
とても親しみやすく気さくな印象を受けるが、翁長さんと同じぶれない人だと確信をする。
翁長さんの息子さんが「父親の18番は裕次郎の嵐を呼ぶ男だった。今、父が嵐を呼んで私達の追い風になってくれている。佐喜眞は給食費を無料にするという、私には3人子どもがいるので無料になったらありがたいが、目先の事で判断してしまい、沖縄に100年・200年先まで使える米軍辺野古新基地を作ったら子どもの未来はない、沖縄の真の未来を考えて行こう」と力強く話された。さすが翁長さんの息子さんだなぁと感心。
三色旗を持っている人にもマイクを向けられ「私達沖縄の創価学会は辺野古に反対です!それを公明党が力づくに押さえ付けて来ています。必ずデニーさんを当選させましょう!」と訴えられて大きな拍手が巻き起こる。
29日は台風が沖縄を直撃のため缶詰状態。
30日午後8時に選挙事務所へ行くと、「当選した」と電話が入り皆で泣きながら抱き合い握手した。
地元の人と一緒に会見場に行くとき「マスコミや相手陣営が何を言おうと、私達は私達のできる事をするだけだと頑張ってきたよ」と話してくれた。ウチナーンチュの心に触れて、又嬉しくなる。
翁長さんが、「ウチナーンチュ マキテー ナイビランドー ヌチカジリ チバラナヤーサイ」(沖縄県民 決して 負けない 命の限り 頑張りましょう)と訴え続けてきた事が、デニーさん当選の力になったと思う。
ほんとうの戦いはこれから
若者と一緒にデニーさんがカチャーシーを舞う。
「蟻が集まって象の足を浮かせる事が出来た。皆さんと一緒に沖縄の新時代を築いていこう!」とデニーさんが熱く語った。
私の若い頃には「沖縄を返せ」をよく歌ったものだが、本当の意味での「沖縄を返せ」はこれからだと思った。