活動報告
プロフィール
家族 | 妻、長女、次女、孫2人の6人家族。 |
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趣味 | 映画鑑賞、釣り、ツーリング、料理 |
略歴
1954年 | 1954年生まれ。 |
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追分小、北部中、城北工業高校、静岡大学電子工学研究所の職員として働きながら同大学工業短期大学部卒業。 | |
静大教職組執行委員など労働運動や青年運動に参加。 | |
1996年 | 96年10月の総選挙では、比例東海ブロックから当選。 |
運輸委員(現国交省)、災害対策特別委員として活躍。 | |
2015年 | 2015年県会議員1期。 |
現在 | 現在、中区くらし・雇用・営業対策委員長。 |
私の歩み
寡黙な少年時代
小学校の時は足が速く、体育と図画工作が得意な寡黙な子どもでした。将来の夢は動物園の飼育係でした。9歳の時に病気で母を亡くし、姉、弟の3人で支え合って成長しました。祖母は「60歳過ぎて第二の子育て」と頑張ってくれ、毎晩、肩や首をもんであげるのが日課でした。
恩師の指摘でリーダーシップの発揮
中学生になってからバレーボールを始めました。高校3年ではキャプテンを務め、市のスポーツ祭典では3位入賞でした。恩師からリーダーシップ発揮の大切さを教えられ、それを乗りこえたことが、青年運動や現在の活動に生きています。
日本共産党との出会い
私は「要領をわきまえ、立身出世を目指すのが社会人の生き方」と思っていました。ところが、就職した日に職場を案内してくれた先輩は、自分のことは二の次にして他人のために頑張る人でした。こういう人がいるのかと感動しました。それが日本共産党との出会いでした。
政治を変えるしかない
父や祖母の姿を通して、「世の中になぜ貧富の差があるのか?」との素朴な疑問を持っていました。
日本共産党に出会う中で、政治を変えなければまじめに働く人たちが報われないことを痛感しました。
21歳で入党し、32歳で市議選に挑戦して以来、党活動の牽引車として奮闘してきました。
政策
原発ゼロ、リニアはストップ
気候危機の打開へ、原発や石炭火力発電をやめて、再生可能エネルギーに切り替えるのが、世界の流れ。原発はゼロに。
住民の命の水、南アルプスの自然環境を守ります。
ジェンダー平等、憲法9条を守る
一人ひとりの人権が尊重され、自由に生きられるジェンダー平等の社会をめざします。自由な社会と対極にあるのが戦争です。
日本を再び海外で戦争する国にしてしまう、敵基地攻撃能力の保有、軍事費2倍化を許さず、憲法9条に基づく平和外交で、日本とアジアの平和を守ります。
子ども医療費、給食費はゼロに
憲法26条の「義務教育は無償」のとおり、県の財政支援で小中学校の給食無償化を実現します。
370億円のドーム球場より水害対策に全力
大規模災害から県民の命と財産、暮らしと営業を守ります。
津波浸水地域に、370億円のドーム球場を作るより、浸水の被害を受けた安間川や馬込川の河川改修を優先します。
統一教会と関係を断て
反社会的団体が政治とつながり、半世紀にわたって政策にまで影響を与えていました。
関わりのある議員・候補者は、県民の代表にはふさわしくありません。
Blog
メッセージ送信
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