日本共産党 港区市政対策委員長(前 名古屋市会議員)
山口 清明
やまぐち きよあき
趣味 | 山歩き、読書 |
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好きな音楽 | エリック・クラプトン |
星座 | ふたご座 |
住まい | 港区南十番町 |
血液型 | b型 |
1961年6月5日 | 秋田県生まれ |
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1967年 | 小学校2年のとき千葉県に引越し |
1980年 | 千葉東高校 卒業 |
〃 | 日本福祉大学 入学 |
1984年 | みなと医療生協に就職 |
2003年~ | 名古屋市会議員(4期16年) |
〃 | 名古屋港管理組合議会議員 16年 |
2019年 | 党港区市政対策委員長 |
コロナ危機を経験して、あらためて人は一人では生きていけないと痛感しました。自己責任の押しつけから、公の責任をしっかり果たす政治にチェンジする時です。
私が日本共産党に出会ったのは大学で福祉を学ぶ二十歳の時。学費値上げ反対や平和を守る運動を通して、日本共産党の一員になりました。
学生時代に、障害児の親子キャンプにボランティアとして参加したことが、私と港区との出会いでした。
卒業後、みなと医療生協に就職、協立総合病院などで働きました。3年間、東京の日本生協連医療部会(現在の日本医療福祉生協連合会)に出向し、患者の権利やカルテ開示など医療の民主化と社会保障運動に関われたことは現在につながる貴重な経験でした。1995年の阪神淡路大震災のときは、震災後の神戸へ1週間、長田区の病院へ寝袋持参で泊まり込み、被災者支援に参加しました。この経験も私の活動の大切な原点です。
市会議員として4期16年働きました。福祉と防災については特に力を注いできたつもりです。2019年の選挙で議席を失いましたが、いまも志は変わりません。
日本の共産党には、政治を変える確かな指針があります。大国にも大企業にもはっきりものが言える自主独立の気風、弱い立場の人々に寄り添い反戦平和を貫くブレない活動の軸。だからこそ、市民と野党の共同をしなやかに広げることができます。
また、港区には伊勢湾台風の救援活動など、困難を抱えた人々を励まし、ともに闘ってきた党の歴史と伝統があります。私はそんな日本共産党の一員だからこそがんばれます。チャレンジできます。
いまこそ政権交代、野党連合政権へダッシュの時。そして失った議席を取り戻すためにも全力ダッシュです。
みんなの力で政治を変え、くらしを守りましょう。
●補聴器購入に公的助成を
●学校・保育園の給食を無料に
全学年で少人数学級を
●奨学金返済支援制度を
●避難所を増やし、一部損壊や床下浸水にも支援をひろげる
●マンションの大規模修繕に公的支援を
●非核平和の名古屋港宣言を
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