高木 みつひろ (たかぎ 光弘)

日本共産党岐阜県委員会常任委員

高木 みつひろ

たかぎ 光弘

力合わせて、未来をひらく。安保法制=戦争法を強行した自公と補完勢力を少数に

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プロフィール

家族
趣味山歩き、音楽や落語を聴くこと
好きな食べ物ラーメン、餃子

略歴

1959年8月岐阜県垂井町で生まれる
1978年3月岐阜県立不破高校理数科卒
1983年3月名古屋工業大学二部工業化学科卒
1983年4月~1988年8月コーティク(株)に勤務
1988年8月から日本共産党専従職員、西濃地区委員長などを歴任

私の歩み

不破郡垂井町で生まれ育ちました。地元の表佐小学校、不破中学校、不破高校(理数科)を卒業。祖父母、両親は農業のかたわら、畳屋を営んでいましたが、小学校2年か3年のころ、紡績会社の仕事を請けて家族中で従業員も数人雇って工場を始めました。そのせいもあり、今でも中小零細業者の方には親近感があります。

中学時代は友人の誘いでブラスバンド部(トロンボーンを担当)に明け暮れていました。また、この頃は1970年代で日本共産党が岐阜県でも国政選挙のたびに得票を伸ばしていて、その影響は我家にもおよんで、ひょんなことから「しんぶん赤旗」日曜版を購読し始め、私はその時から今日まで「しんぶん赤旗」日曜版に親しんでいます。

高校に進学して、将来の進路や「どう生きるか」などを考え始めました。そんな時、世の中には様々な事情で「働きながら学ぶ」人たちがいることを知り、それに何となく魅力を感じて名古屋工業大学2部(夜間部)に進みました。大学の寮で生活し、昼間は下水道設計の会社や名古屋大学医学部付属病院・眼科医局などでアルバイトをしました。

大学では学生自治会で活動するようになり、2年生の夏に大学周辺の商店街や住宅などを一軒一軒訪問して核兵器廃絶の署名と募金をお願いし、その資金で原水爆禁止正解大会に参加したことや、大学の学費値上げ反対でクラス討論をしたりしたことは忘れられない思い出です。そうした中で、民青同盟や日本共産党に出会いました。自分の生き方をしっかりしたものにしたい。そんな思いで反戦平和を貫き、どんな時でも未来を指し示す日本共産党に入党しました。1979年6月のことでした。

その後、地元の西濃地域で会社勤めをしながら民青同盟の活動をし、5年程たって日本共産党の専従の誘いがあり思い切ってその道に飛び込みました。1988年8月のことでした。

それ以来、国民とともに政治を動かすことを生きがいに奮闘してきました。その間、県議選一度、衆院選(岐阜2区)三度戦ってきました。今度の参院選は、国政4度目の挑戦です。

今度選挙は、憲法を壊して戦争する国を選ぶのかそれとも憲法を守って平和な日本を後の代に受け継いでいくのか二つの道の選択の選挙となります。何としても自民党公明党とその補完勢力を少数にすると同時に日本共産党を躍進させて、国民とともに新しい政治の扉を開く決意で奮闘します。

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政策

安保法制(戦争法)廃止、立憲主義と民主主義を取り戻し、「個人の尊厳」を守り大切にする社会を
「アベノミクス」ストップ、格差ただし、経済に民主主義を
  格差をただし、経済に民主主義を確立する「三つの改革」
   ①税金の集め方を変える。
     消費税10%増税中止。増税は富裕層、大企業から。
   ②税金の使い方を変える。
     社会保障を最優先に。年金削減の中止、
     高すぎる医療費の窓口負担を減らす
     介護保険の負担を軽くする
     特養ホーム待機者の解消
     大学の学費(授業料)を段階的に値下げし、10年間で国公立も私学も学費を半減する
     保育所の待機児童は、国の責任で解決。30万人分の保育園建設
  ③働き方を変える
     「ブラックな働き方をなくし、人間らしく働けるルールを」
     最低賃金をいますぐ、どこでも時給1000円に
     ブラック企業なくす
TPP協定阻止、各国の経済主権、食料主権を尊重した、平等・互恵の投資と貿易 のルールを。農産物の価格保障と所得保障を組み合わせて、安心して再生産できる農業を。食料自給率をまず50%に引き上げを
原発の再稼働ストップ、再生エネルギーの飛躍的普及を
沖縄県民の総意を尊重し、基地建設中止
憲法9条を生かした平和外交を

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