28日
刈谷市議選支援
半城土町を移動中、依佐見送信所記念館近くをとおり、立ち寄った。
高さ250mの鉄塔8基(4基×2列)、長さ1.8km、16条のアンテナ用ワイヤーを支え、
アース線は、1.76km×0.88kmの範囲内の地中に深さ60cmで網の目上に敷き詰められた。
太平洋戦争開戦の暗号「ニイタカヤマノボレ一二○八」を送信した送信所とも言われている。
今では、鉄塔が解体されその面影として、一部が残され、旧送信所には、当時の機器が展示されていた。
昔、この地域の農地は、支柱やアース線などが張り巡らされていたにもかかわらず、
戦後の補償すらなかった。
基地撤去や防衛庁への補償要求を農民とともに日本共産党が取り組んだ歴史もある。
私も20代(30代?)だったか、
基地を人間の鎖で包囲する運動やトマホーク配備反対の集会などで、
この地に度々来ていたことをなつかしく思い出した。
道に迷っても、鉄塔の光を頼りに走った人も多いのではないか。
今ではフラワーガーデンや子どもの公園になり親しまれている。