大鵬のこと

2013年01月21日 09時37分00秒 by

赤旗しんぶんの「潮流」欄に次のような記事。

 「巨人、大鵬、卵焼き」の流行語の生みの親は、評論家の堺屋太一氏でした。氏は、子どもと同じようなものが好きではしゃぐ、“子どもっぽいおとな”をからかうつもりだったらしい▼が、氏の思惑をこえ、子どもが好きなものを並べた言葉としてすっかり根づきます。ときは1960年代初め。誠実を絵に描いたような大鵬関は、人をからかう素材になりえませんでした▼優勝32回。大横綱・大鵬の納谷幸喜さんが亡くなりました。日本領だった樺太の生まれ。父はウクライナ人、母は日本人。5歳で終戦を迎え、母と命からがら北海道に渡ります。ソ連で迫害された父とは、以後も離れ離れでした▼貧しく、混血のせいでいじめられた子ども時代。しかし、母に教えられます。「人はみんな平等だ。差別するんじゃない」。腹いっぱい飯が食えると入った大相撲で、つらいけいこに耐え抜きました▼横綱・柏戸との名勝負は語り草です。休場明けの柏戸に負け、作家の石原慎太郎氏に「八百長」と書かれた時でした。身に覚えのない大鵬。彼が「つらかったろうね」と声をかけると、「うん」といってボロボロ泣く柏戸。以来2人は、厚い友情で結ばれます▼やはり原点は、樺太からの引き揚げ船が次々沈む中で命拾いした体験なのでしょう。本紙2万号記念に、励ましをいただきました。“平和な社会をつくり、みんなが幸せにならないといけないんだと、一生懸命、報道しているわけでしょう。戦前からずっと…”。ありがとう、大鵬関。

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