元町長が、ある「会」の後で挨拶をされ、その挨拶の中身を幾人かの参加者が聞かせてくれた。
要約すると、
「平坂、中畑、寺津など、救急車も消防車も通れない細い道が残されている。
合併で周辺の町が寂れないように「どげんとせんといかん」」
と立ち上がったそうで、東国原氏の言葉も引用されたようだ。
これを聞いて、ふと思い出したのだが・・・
以前、議会で、私は彼にこう質問した。
「こんな合併の進めかたでは、町が寂れてしまうのではないか!」と。
町長は「すでに寂れている」と答弁された。
「西尾市の言い分を丸呑みしてでも合併を」と職員に檄を飛ばした町長だったが、
そういう姿勢による合併であったため、吸収合併された3町が、現在、苦い思いをしていることを、
どう考えているか。
「どげんとせんといかん」とがんばるのは結構だが、
「どげんとせんといかん」ような合併をすすめたのは誰だったのか考えてもらいたいものだ。