今年の世界大会は、7月7日に核兵器禁止条約が採択された直後の歴史的大会として、禁止条約から完全廃絶へ、新たな運動をすすめようと意欲と熱気ある大会でした。私は、開会総会に出席しました。
開会総会では、主催者を代表して安斎さんが、「原爆投下から72年目。『72』という数字は、数字の世界では、『強力だが完璧でない』という意味である」ことを紹介しながら、条約の意義を訴えました。画期的な条約であるが、決してこれが最終地点ではない。条約を力に、廃絶へ向かう地道な努力がこれから始まる、その運命は、私たちが決めるのだと、私の心にすっと入ってきた報告でした。
中満・国連軍縮問題担当上級代表は、禁止条約が被爆者の長年の運動が結実したものであることを評価した上で、「核兵器の否定を国際法として成文化した」ことが条約の核心点であると強調し、この世界大会で、「禁止条約の採択を受けて、これから核軍縮を具体的にどう進めていくか議論をしていきたい」と、核兵器廃絶へ、行動する決意が表明されたことは、参加者を勇気づけるものとなりました。
海外代表の挨拶を聞いて感じたのは、世界の反核運動が、核兵器の脅威や被害に直面する中で、世界の運動と連帯して、地道に努力が重ねられているということです。駐日キューバ大使は、「核兵器の存在そのものが人類の脅威だ。人民は、政治指導者に、人類の生存を保障するよう請求する権利がある」と話しました。こう発言する背景には、キューバが1962年にキューバ危機に直面し、全面核戦争寸前まで達した危機に陥ったことが背景にあります。大使は、「いまは高性能の核兵器で、危険はその時以上だ」と強調し、核兵器廃絶への決意を語りました。
また、核兵器を保有するイギリスやフランスの平和運動の代表も発言。軍産共同体の圧力によって、核兵器禁止条約の採択自身がマスコミに報道されない現状を報告しながら、禁止条約を採択する政府の実現へ、奮闘する決意が語られました。このことも、核の傘のもとで禁止条約に背を向ける日本政府を変える日本の運動と、共通する闘いが繰り広げられていることを知ることができた瞬間でした。
一方で、こうした世界大会の熱気とは対照的に、異質な姿を示したのが安倍首相でした。自身も被爆者の日本被団協の木戸事務局長は、「安倍首相が広島の平和記念式典で、核兵器禁止条約を批准しないと宣言した。被爆国日本の首相として許されない」と、満身の怒りを込めた訴えがありました。広島に続き長崎でも、被爆者団体の代表と安倍首相との懇談の席で、禁止条約に背を向ける安倍首相に、「どこの国の総理ですか。いまこそ日本が核兵器廃絶の先頭に立つべきです」と、怒りの声が沸き上がりました。
被爆者の願い、被爆国日本の政府としてあるまじき態度をとる安倍政権。憲法を壊し、国政を私物化し、さらに被爆国日本として核兵器禁止条約に背を向け続ければ、さらなる国民の政府への批判は高まることは、必至です。核兵器禁止条約に署名する政府をつくるためにも、こうした姿勢を続ける安倍政権を一刻も早く退場させ、新しい政治をつくらなければならないと、決意を新たにしました。