中野 武史 (なかの たけし)

党准中央委員・三重県副委員長

中野 武史

なかの たけし

人間らしく働き、暮らせる社会を

活動報告

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プロフィール

家族妻・長男
趣味カヌー、登山
座右の銘刻苦光明必ず盛大なり
住まい三重県鈴鹿市

略歴

1974年三重県鈴鹿市で生まれる
1987年三重県鈴鹿市立栄小学校卒業
1990年三重県鈴鹿市立天栄中学校卒業
1993年三重県立津高等学校卒業
1997年都留文科大学文学部社会学科卒業
1997年日本民主青年同盟三重県委員長を2002年まで
2003年三重県議選(鈴鹿市区)に立候補
2004年参院三重選挙区に3回、2005年から衆院選に4回立候補
2006年党三重県委員会書記長を2011年まで
2010年党准中央委員を2010年から2014年と2017年から
2011年7月党三重県北勢地区委員長を2017年2月まで
2017年2月党三重県委員会副委員長

私の歩み

●三重県鈴鹿市生まれ。カヌーと登山が趣味

 私は、三重県鈴鹿市に生まれ育ちました。3人兄弟の末っ子です。小学生の時は、自宅が集団登校の集合場所になっていて、みんなが集まるまで野球などをしていたことを思い出します。学校が休みの時は、友人と近く里山で「探検」。サッカークラブにも入っていました。中学校では吹奏楽部に入部し、トランペットを担当。決して上手とは言えない腕前でしたが、部長をさせていただいていました。

 趣味は、中学2年生から始めたカヌーと、高校から始めた登山です。2010年に子供が生まれてからは、休日は家族一緒に過ごすことにしているため、現在休止中ですが、カヌーは、地元・鈴鹿市の海や鳥羽市の海をフォールドにしています。鳥羽市の菅島を一周したり、無人島や海岸に上陸してゆっくり過ごす時間は、最高です。また小笠原の海で漕いだり、鳥羽市・神島カヌートライアルに参加したこともあります。子供がもう少し大きくなり、一緒にカヌーや登山ができる日が来るのを楽しみにしています。

●18歳で日本共産党に入党

 高校2年生のとき、祖母の介護をする母の姿をみて、もっと行き届いた社会福祉制度が必要と感じました。そして福祉を支える財政を学ぼうと、大学の進路を地方自治・地方財政と決めて、都留文科大学文学部社会学科に入学しました。

 同時に、どの政党が、自分たちの暮らしをよくするために活動しているのかを調べました。その中で日本共産党を知り、いろいろな共産党の文献を読む中で、「日本共産党は、福祉充実で頑張っていること。崩壊したソ連は社会主義・共産主義とは無縁の体制であること。人間解放の社会をめざす社会主義・共産主義を展望して活動している政党であること。党創立以来、侵略戦争反対など、一貫して国民が主人公の立場で活動している」ことを知り、大学入学前に、みずから日本共産党に入党しました。

 大学では、学生自治会で活動も行いました。学生自治会執行委員長として、当時、全学生の要求であった、グランド全面改修と夜間照明の設置、図書館の開館時間の延長を求めて、短期間に全学生の過半数の署名を集め、市議会に請願。党派を超えた議員のみなさんの力を得て、採択を勝ち取りました。さらに市長交渉で予算化を要請し、図書館の開館時間延長では、大学職員のみなさんが学生の願いを何とか実現するために相談を重ねてくださるなど、関係者の努力が重なり合い、すべて実現を勝ち取ることができました。こうした学生時代の経験が、いまの活動を支える土台となっています。

 

●「人間らしく働き、暮らせる社会を」

   ――中野たけしが政治家を志した原点です

 私は、大学卒業後、しばらくの間、スーパーに勤めていました。野菜を担当し、早く一人前になろうと、必死に先輩から学び、やりがいを感じながら仕事をしていました。一方で、「朝は6時半から、夜は8時を超えて10時までも。月にすると90時間の残業で、そのほとんどが不払い残業」という経験をしました。この自身の経験から、「人間らしく働き、暮らせる社会を」が、政治家を志した原点となっています。

 

●2004年から国政候補として活動

 2004年の参議院三重選挙区で立候補して以降、参院選に3回(04年、07年10年)、衆議院選挙(三重2区)に4回(05年、09年は比例重複、12年、14年)に挑戦してきました。三重県内の「願い実現を」と、各界各層のみなさんと懇談を重ねるとともに、日本共産党地方議員のみなさんと一緒に調査も行い、県交渉・政府交渉も重ねてきました。

●日本共産党三重県北勢地区委員長として活動

 2011年4月の統一地方選挙で、三重県は四日市市・津市にあった県会議員の議席を失いました。私は、県議席回復をめざして、同年7月から党三重県北勢地区委員長として活動を開始しました。そして2015年4月の統一地方選挙で、山本里香さんが40年来、四日市市選出の日本共産党県議であった萩原量吉さんの跡を受け継いで議席回復を果たすことができました。

 

●東海4県共同の宝の議席を、さらに増やす挑戦者として

 住民の暮らしと福祉を守るとともに、安保法制を廃止し、立憲主義を回復するためには、国会や地方議会で日本共産党の議席を増やすこと、市民と野党の共闘をさらに発展させることが必要です。そのためには、日本共産党を強く大きくすることがどうしても必要と、党三重県北勢地区委員長として5年半、努力をすすめてきました。

 市民と野党の共闘で政治を変える新しい時代が始まる中で、私は、衆議院東海比例ブロックで、本村伸子衆院議員と島津幸広衆院議員の「東海4県共同の宝の議席」をさらに増やす挑戦者として、みなさんとご一緒に全力を尽くします。

 

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