今日は鳥羽川改修促進期成同盟会の視察研修で、海津市のさぼう遊学館と羽根谷だんだん公園に行ってきました。市議会議員は顧問をしています。木曽三川は江戸時代に薩摩藩士によって灌漑工事がされ、水害から住民を守ることにつながりました。この工事は徳川家が薩摩藩の財政力を弱めるために命じたのは有名な話です。
工事を請け負うことにした城主は、困っているのは同じ日本人だ。仲間のために頑張り薩摩藩士の名を後世に残そうと家臣に呼びかけたという言い伝えがあります。羽根谷の砂防工事を指導したのは、オランダのヨハネス・デ・レーケ。大きな石を積み上げた巨石積堰堤が沢山つくられました。明治時代以降、半世紀以上も土砂災害が発生していないということです。
養老山地と羽根谷の砂防、木曽三川の輪中の歴史、薩摩藩士の灌漑工事など、郷土の地形の影響のなかでの災害と暮らす知恵などを学ぶことができました。まさに国内外からの支援を受けて災害から身を守ってもらった歴史がありました。
灌漑工事では難攻したなか薩摩藩士の多くが命を落とし、完成して陣頭指揮を執った藩士が責任を感じて切腹をした史実があります。切腹は別にして、佐川が佐川がと答弁した麻生副総理兼財務大臣を思わず比べてしまいました。