コロナ禍のもと、いのち、暮らしを応援する砺波市政を!
活動報告
プロフィール
党役職 | 日本共産党富山県委員、富山県委員会農漁民副部長、砺波市委員会委員長 |
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団体役員 | 大門素麺事業部長 |
団体役員 | 農民運動富山県連合会書記長 |
略歴
1954年(昭和29年) | 砺波市大門(おおかど)に生まれる |
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1967年(昭和42年) | 出町小学校卒業 |
1970年(昭和45年) | 出町中学校卒業 |
1973年(昭和48年) | 砺波高校普通科卒業 |
1977年(昭和52年) | 金沢大学法文学部卒業 |
1977年(昭和52年) | 富山県高岡児童相談所勤務 |
1985年〜87年 | 花とも、つくし工房勤務 |
1987年(昭和62年) | 自営(素麺製造、チューリップ球根生産、農業) |
1997年(平成9年) | 農民運動富山県連合会産直組合長 |
2001年(平成13年) | 砺波市議会議員補欠選挙立候補落選 |
2004年(平成16年) | 砺波市議会議員立候補・当選 |
2005年(平成17年) | 砺波市議会議員選挙立候補・落選 |
2014年(平成26年) | 大門素麺事業部長 |
2017年(平成29年) | 砺波市議会議員立候補・当選 |
私の歩み
百姓の長男として生まれ、後を継ぐのが当たり前と思い込んで育ったので、小学校の卒業文集に寄せた「将来やりたい仕事」は農業でした。
しかし、働けば収入が増えるというものじゃないという現実も、夜遅くまで外に居て作業する家族を見ながら感じていたのも事実です。
高校が進学校で、点取合戦の日々に嫌気がさしてきて、何の為に生きているのか、どうすれば自分らしく生きられるのかということを考えるようになっていました。「何だか変!」・・・こういう気持ちで高校生活をおくりました。それで大学では心理学を専攻しました。
大学では同じ研究室の先輩から「科学的社会主義」(マルクスなどの哲学や経済学、社会変革の理論)を紹介され、学びました。
心の問題というのは、個々人の内面の問題であると同時に、まわり(社会)との関わりや世の中のあり様を同時に考えないと、正確に、全面的にとらえられないことを知りました。
そして、社会の問題を避けて、幸せに生きる方法を知ろうとしても困難で、世の中としっかり関わりながら、生き生きと生きられる環境を作る人生を歩むことが、大事なのだと考えるようになりました。
一緒に活動しないかと誘われたいくつかの政党や団体があったが、無理なくピタリと納得できるのがあの「恐ろしい」日本共産党だったのです!入党したのは、大学1年の19歳のときでした。それから42年、今はめぐり逢えたことに感謝しています。
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